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和歌山地方裁判所 昭和48年(ワ)299号 判決

和歌山市東杭ノ瀬一六一番地

原告 赤沢大助

東京都港区西新橋一丁目七番一三号

被告 社団法人日本音楽著作権協会

右代表者理事 酒井三郎

〈ほか三名〉

右被告三名訴訟代理人弁護士 新井旦幸

右訴訟復代理人弁護士 井上準一郎

主文

原告の請求は、いずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し、各自金三、〇〇〇万円及び内金一、五〇〇万円については昭和四八年一一月三日以降、内金一、五〇〇万円については昭和五〇年五月二七日以降、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告社団法人日本音楽著作権協会は、被告山田貞子との間に締結した流行歌「籠の鳥」の信託契約を取り消し、作詞、作曲権共にその信託名義人を原告に改めよ。

3  被告社団法人日本音楽著作権協会は別紙謝罪広告目録(一)記載の文面で、被告添田知道、同山田貞子は連名で同目録(二)記載の文面で、原告のために朝日、読売、毎日、北海道各新聞に謝罪広告を掲載せよ。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

(本案前)

請求の趣旨第2項については原告の訴えを却下する。

(本案)

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

(一)(原告の著作権並びに本件紛争に至る経過)

1 原告は大正一一年五月頃、別紙著作目録(一)、(二)記載の「籠の鳥」と題する流行歌を作詞、作曲した。

右当時、原告は北海道に住み、劇場を経営する傍ら、いわゆる活動写真を上映しつつ各地を巡業していたところ、巡業先の樺太でたまたま聞いたロシア人娼婦の歌をヒントに作詞、作曲したものである。

仮に、右の歌が外国のものであったとしても、原告は詞についての翻訳著作権を有する。

2 原告はその後、右「籠の鳥」の歌を当時の流行歌とともに映画の幕間にアトラクションとして歌わせているうちに、次第に流行し始め、大正一二年頃には北海道中に流行するに至った。そこで原告は、同年一一月末にこれを映画化することを思い立ち、大阪の早川プロダクションに製作を依頼し、原作、脚色赤沢大助、監督藤浪紫朗(右早川プロダクション社長早川一郎の変名)のもとに翌大正一三年三月末「籠の鳥の唄」と題する映画を完成させた。同映画は歌と音楽と映画とが一体となって、一つの作品を形成している歌を主題とした小唄映画で、原告はそれを上映し、その際、右原作、脚色者等を明示して広告もしていたから、当然、映画だけでなく、右歌についても著作者と推定されるべきである。その頃、「籠の鳥」の歌は次第に東京、大阪でも流行することとなり、これに目を付けた当時の映画会社「帝国キネマ」が大正一三年八月一四日同様の題名の下に映画化した。

3 その後、原告は前記「籠の鳥の唄」の映画の成功により映画の配給製作会社を設立して活躍していたが、戦災のため右事業を断念せざるを得ないこととなり、以後、映画界あるいは芸能界とは無縁になっていた。ところが、昭和三五年頃になって「籠の鳥」の歌がいわゆるナツメロとして再び歌われ出し始めたため、これが著作権の確保について按じていたところ、たまたま新聞で被告社団法人日本音楽著作権協会(以下、被告協会という。)が発足しており、同協会が著作者から著作権の信託を受けてその管理業務を行なっていることを知った。

(二)(被告らの著作権侵害行為)

1 そこで、原告は被告協会に流行歌「籠の鳥」の著作権の信託をなすべく問い合わせたところ、既に、同協会は右流行歌については作曲者鳥取春陽、作詞者千野かおる、松本英一、佃血秋として著作権の信託を受けていることが判明した。しかし、一方、同協会では原告申出の証人又は証拠資料を審議し、原告の主張が正しいと認められた場合には、現在の信託登録を取り消す旨約したので、原告は右流行歌の著作者名義の回復を図り、右著作権を同協会に信託すべく、昭和四五年一一月一〇日以来、数度同協会に赴き、前記早川一郎の証言書や、北海道新聞社が収集、送付してくれた、原告が北海道在住当時に「籠の鳥」を作詞、作曲してこれを流行させ、後に映画化したことを知っている同業者などの多数の証言書、あるいは映画雑誌を証明資料として再々審査を要求したが、被告協会は繰り返し原告の申し出を却下した。

2 原告は、このような被告協会の態度に不審を抱きその原因を究明したところ、次のような事情が判明した。即ち、本件「籠の鳥」については、被告協会が発足してからも著作権者として名乗り出るものがなかったところ、昭和二九年に至り、演歌師の元老で、被告協会の相談役であった被告添田が故鳥取春陽の内妻であった被告山田と親しかったことから、同被告を援助する目的で、同被告と共謀して印税を詐取しようと企て、併せて、同被告の娘陽子を歌謡父娘のキャッチフレーズで歌手として売り出すために、何ら根拠がないのに鳥取春陽を作曲者として発表し、著作権の信託登録をしようとし、被告協会もそれを知りながら、敢えて、被告山田が鳥取春陽の相続人でないのに、相続人であるとして前記のとおり信託を受け、その後誤りに気づくや、同人の父鳥取民五郎から譲渡を受けていると称し、以来、被告山田に約二〇年間に亘って印税を不法に取得させてきた。一方、作詞については被告協会は前記三名との間に信託契約を結び、あるいは勝手に著作権行使の仲介行為をなして不法にその使用料を取得してきた。

3 ところが、被告らは、思いがけず原告が著作権者として名乗りをあげてきたためにその処置に窮し、右被告らの不法行為を隠蔽すべく、被告添田にあっては原告の申し出に対し、関係者を一堂に集めて解決する旨約しながら、その後も何ら解決の努力をせず、被告協会も前記のとおり作曲者は鳥取春陽、作詞者は千野かおる外二名であることを主張して譲らず、レコードやカセットテープの発売に際してその許諾を与えるなどして著作権侵害の行為を継続している。

(三)(損害)

1 積極的損害 金二、五〇〇万円

(1) 原告は、被告らの右共同不法行為により著作権法一一四条二項に基ずき、著作権の行使につき通常受けるべき金銭の額に相当する額の損害を受けたものと言うべきところ、右の通常受けるべき損害は、本件侵害行為の開始された昭和二九年から本訴提起時(昭和四八年一〇月二四日)までは金一〇〇〇万円となる。

即ち、被告協会は、現在全国のテレビ放送局九〇局、ラジオ放送局一八〇局、同有線放送三五〇社に対して毎日一回以上は本件「籠の鳥」の生放送あるいはレコードの使用を許諾し、更に、レコード会社六社およびカセットテープ製造会社に録音の許諾を与えているところ、被告らの本件侵害行為がなかったならば、原告は右各社から前同額の著作権使用料を取得し得たものである。

(2) 更に、本訴提起後は、右(1)と同様の損害に加えて、近年歌謡曲の集大成をしたレコードあるいはカセットテープの月賦販売がブームとなり、右売れ行きが異常なまでに伸びており、これらの半数以上に「籠の鳥」の歌が収録されて販売され、これら著作権使用の対価として被告らが本訴提起後、口頭弁論終結時までに得た利益は金一、五〇〇万円を下らず、前同条一項により右金額が原告の受けた損害と推定されるべきものである。

2 慰藉料 金五〇〇万円

原告は、被告らの著作権および著作者人格権の侵害並びに名誉毀損の行為により多大の精神的損害を被ったが、これを金銭に評価すれば金五〇〇万円を下らない。

(四)(結論)

よって、原告は被告らに対し、連帯して金三、〇〇〇万円及び右の金員の内一、五〇〇万円については本訴状送達の翌日たる昭和四八年一一月三日以降、内金一、五〇〇万円については本請求の趣旨訂正の申立書送達の翌日たる昭和五〇年五月二七日以降、各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めると共に、著作権法一一五条に基づき原告が本件「籠の鳥」の著作権者であることを確保するための措置として、被告協会に対し、同被告と被告山田間の本件「籠の鳥」の著作権信託契約を取り消して、右信託名義人を原告に改めるべきことを求め、併せて、本件「籠の鳥」の作詞、作曲者としての原告の名誉、信用の回復を図るため、被告らに対し、請求の趣旨第3項記載の謝罪広告をなすべきことを求める。

(五)  被告らが作曲者であるという鳥取春陽は、関東大震災後大阪に来て演歌師の寺井金春方に居候していたが、右作曲をしたという資料もなく、また仮りに作曲したとしても、その際、どの作詞者とコンビを組んだか明らかでないばかりか、同人は生存中本件歌の作曲者であると公表したこともなく、従って、その著作権を行使したこともない。

二  被告らの答弁並びに主張

(本案前)

請求の趣旨第2項については請求自体意味が不明であるのでこれが訴えの却下を求める。

(本案)

(一) 請求原因(一)について

1 同1の事実中、原告が本件「籠の鳥」を作詞、作曲したとの事実、或いは外国の詞を翻訳したとの事実は否認し、その余の事実は不知。

2 同2の事実中、「籠の鳥」の歌が東京、大阪に流行したこと及び「帝国キネマ」が原告主張の日に「籠の鳥」という映画を製作したことは認める。但し、「籠の鳥」の歌の流行の発祥地が北海道であるとの点は否認する。その余の事実は知らない。

3 同3の事実中、昭和三五年頃より本件「籠の鳥」が再びナツメロとして歌われるようになったこと、被告協会発足の事実及びその業務内容についてはこれを認め、その余の事実は知らない。

(二) 同(二)の事実について

1 同1の事実中、被告協会が「籠の鳥」の楽曲について鳥取春陽作曲として信託を受けて著作権を管理している事実、原告の被告協会訪問の事実、その際原告主張のような資料を提出し、原告がその作詞、作曲者であると述べた事実はこれを認め、その余の事実は不知ないし否認する。

2 同2の事実中、被告協会が昭和二九年、被告山田から前記のとおり信託を受け、現在までその著作物使用料を徴収して分配してきた事実は認め、その余の事実は否認する。被告協会は原告が作詞したという歌詞については誰からも信託を受けておらず、従って、その使用を許諾したり、その使用料を受領していない。

3 同3の事実中、被告添田が原告の来訪に際し「関係者が一堂に集まることがあれば本問題を話合ったらどうか。」と述べた事実、及び被告山田の関係で被告協会がその録音使用を許諾した事実は認めるが、その余の事実は否認する。

(三) 同(三)については争う。

(主張)

本件「籠の鳥」の作曲者は故鳥取春陽である。同人は大正一一年当時、既にいくつかの曲を作曲していたかなり高名な作曲家で、大阪における演歌師の中心的人物であり、同年本件「籠の鳥」を作曲し、それがオリエント印レコードに吹込まれて以来、次々とレコードになっており、前記「帝国キネマ」で映画化された際も、同人がその使用料の支払いを受けている。このように同人が「籠の鳥」の作曲者であることは、これを作曲した大正一一年以降今日まで、レコード界でも映画界でも衆知の事実である。

第三証拠≪省略≫

理由

一  被告らの本案前の申立について

原告の請求の趣旨第2項は、被告らのいうように、請求自体不明とはいえないから、右申立は理由がない。

二  本件作詞の著作権侵害について

被告協会が原告主張のとおりの業務を行っていることは当事者間に争いがない。しかし、≪証拠省略≫によれば、被告協会が右流行歌の歌詞の第一節から第六節までは千野かおる、第七節から第一二節までは松本英一、第一三節から第一五節までは佃血秋として著作権の信託を受けているものの如くであるが、≪証拠省略≫によれば、被告協会が歌詞について信託契約を結んでいるのは、前記佃血秋作詞に係る部分のみで、原告が作詞したと主張する別紙著作目録(一)記載の歌詞については被告山田とはもちろん、何人とも信託契約をしていないこと、従って、その使用を許諾し、又は右使用料を徴収していないことが認められるから、被告らがその使用料を得、原告の本件作詞著作権を侵害していることを前提とする原告のこの点に関する請求は、原告が作詞者であるかどうか等の点について判断するまでもなく失当である。

三  本件作曲の著作権について

被告協会が本件「籠の鳥」につき作曲者が故鳥取春陽であるとして、昭和二九年被告山田よりその著作権の信託を受け、その使用料を徴収して同被告に交付していること、原告主張のころ、右歌が東京、大阪で流行しており、帝国キネマが同名の映画を製作したこと、昭和三五年頃右歌がナツメロとして再び歌われるようになったこと、昭和四五年頃から原告は被告らに対しその主張のような資料を示して、右歌の作詞作曲者であるといい出したことは当事者間に争いはなく、≪証拠省略≫によれば、原告は、大正一〇年頃から北海道砂川村(現在市)において劇場を経営する傍ら、当時流行していた「船頭小唄」を映画化した大阪の早川プロダクション製作の映画「枯れすすき」などを携えて道内各地や樺太などを巡業していたこと、大正一二年ごろ、「籠の鳥」という歌が北海道内では船頭小唄を上廻るほど流行したので、原告は右「籠の鳥」の歌の映画化を思い立ち、かねて取引のあった右早川プロダクションにその製作を依頼し、大正一三年二月には原告自身が大阪に赴いて、直接右製作に関して指図するなどして同年三月末に原作、脚色赤沢大助、監督早川一郎、主演平戸延介(亡山本嘉次郎の芸名)として「籠の鳥の唄」と題する映画を完成したこと、右完成後、原告は同映画のプリントを携えて、函館を皮切りに北海道、東北で興業し、各地で好評を博していたところ、歌の流行に目をつけた帝国キネマが前記のとおり映画化して大ヒットし、次いで日活、松竹も競作したため、「籠の鳥」は映画・歌共空前のブームとなったことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

原告は、前記歌の流行は、原告が大正一一年五月樺太巡業中に同歌を作詞作曲し、その後、それを映画の幕間のアトラクションとして楽士らに歌わせていたためであると主張し、前掲各証拠中には右主張にそう部分があるけれども、他方、≪証拠省略≫によれば「松竹キネマ」製作の映画「船頭小唄」は大正一一年一一月ごろ製作され、翌一二年一月八日封切されたもので、原告が樺太に携えていった映画「枯れすすき」はその後四、五ヶ月後に製作されたものであること、≪証拠省略≫によれば、流行歌「籠の鳥」は大正一一年遅くとも関東大震災のあった同一二年九月一日までには作詞、作曲され、東京、大阪などでも既に一般の人々の間で歌われていたことがそれぞれ認められ、右事実と、原告の自認する、原告が本訴提起に至るまで本件歌の作詞作曲者であることを表明し、公表したことがないことや、原告は楽譜の読み書きができないことを併せ考えると、原告の右主張、特に原告が右流行歌の作曲をしたとの主張はこれを認めることができない。

もっとも、原告はこの点につき≪証拠省略≫の映画広告およびストリー紹介文中に原作、脚色者として原告の氏名を表示しており、殊に右映画は歌を主題とし、歌と映画が一体となった小唄映画であるから、著作権法(旧三五条、新一四条)により本件歌詞および曲についても著作者と推定されるべきであると主張する。しかしながら、右に表示された原作者とは、その形式及び文意からみると、同映画において用いられた小説(物語)等の著作者をいい、本件歌の作詞作曲者をいうものでないことは明らかであるから、原告のこの点に関する主張も失当である。

以上の次第であって、本件全証拠によるも原告が本件「籠の鳥」の作曲者であるとは認められず、従って、それを前提とする原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤原達雄 裁判官 大月妙子 裁判官 梅津和宏)

〈以下省略〉

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